「書評じゃなくてもっと面白いこと書けよ!」
ってコメントを頂いたので、
なんとなく今思ってることを書きます笑
私は小さい頃から自己嫌悪の激しい人間です。
小学3年生から始めた野球は足が遅く守備もヘタクソで全然活躍できなかったし、
中学に入ると途端に勉強についていけなくなり急降下する成績に落ち込み、
高校では思春期のせいなのか友達とコミュニケーション取るのに抵抗を感じたり、
大学では何故か始めた能楽で幾度となく挫折しました。
※いつか書こうと思うけど中之舞試験時の挫折感はかなりやばかった
就活の自己分析でモチベーショングラフ作ると、結構な頻度で急降下ゾーンが訪れていました。
何かうまくいかないことがあるとすぐに憂鬱になるめんどくさい学生でした。
自己嫌悪の渦から抜け出すために、超不器用人間な私が取った行動は「努力」でした。
これは”長所”であると信じているのですが、何か物事に挫折すると、
それを跳ね返すくらいの狂気じみた努力をしてきました。
顕著に変化が見られたのは高校時代だと思います。
入部した男子ソフトボール部で、恩師(と勝手に思ってます)の先生との出会いが
自分を変えてくれました。
運動音痴の素人部員が、
いま思い返しても気持ち悪いくらいバットを振っていました。
足がちぎれるくらい走ったし、グラウンド整備や道具の整備も入念に入念に行っていました。
口下手ですが、部員との対話も自然と設けるようになりました。
日々の練習で皆追い込まれているので、各々部活への思いが溢れるように出てきました。
1プレイ終わる度に全員がマウンドに集まり、「お前のカバーが遅い」だの
「お前のバックホームが低ければアウトにできた」だの罵り合うその環境は、当時ホント辛かったですが
明らかに弱々しい自分から脱却するきっかけになりました。
当時全力で罵り合った部員たちは、今は馬鹿話しながら笑い合える友人です。
そんな環境から大学を経て、今勤めている会社に就職したのですが、
ここでも自己嫌悪の波が容赦なく襲ってきます。
「付和雷同」という言葉があります。
“自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること”という意味ですが、
入社数年の自分は正にこの状態に陥っていました。
製品知識が足りないことは勿論のこと、自分が発言しなくても物事が進んでしまう環境に身を置く中で、なんとなく時間が過ぎていく。会議や商談中「そこにいるだけ」の人間になってしまっていました。
近年は特に市場のIT需要が堅調で、次々と新しいニーズが生まれてくるようになりました。
時代の流れが変化し続ける中で、
ただ「そこにいるだけ」の自分に、とてつもない恐怖心を抱くようになりました。
なので、今一度、自分を変えた高校生活のようにもう一度、自分を変えようと思いました。
毎日の勉強時間の確保、会議や商談の場での発言、わからない事は即メモを取り、
その日のうちに疑問を潰しています。
新入社員が研修で習うような当たり前で基本的な活動から、
生活習慣や食生活の改善、モノを減らして生活のミニマイズ化、読書→書評のアウトプットまで、
これまで至らなかった意識を根本的に変える取り組みをしています。
高校時代から始まった狂気的な「努力」の断片が、自分の中に再び、良い意味で現れ始めています。
社内外を見渡しても同年代で自分より優秀な人は沢山いることはわかっています。
ただ今は、かつて感じていた「他人への劣等感」が無くなっています。
私が抱く劣等感の正体は、常に完璧を追い求める「理想の私」に対してであると
最近気付きました。
野球をすればイチロー並、ビジネスをすればジョブズ並、カラオケに行けばhyde並(異論認めます)な、完璧主義な自分が作り出した「理想の私」に少しでも近付けるよう、そして追い越せるよう、終わりのない「努力」を楽しみながらやっているよ、というのが近況報告です。
まだまだまだ自分の年代はここから伸び盛りだと信じてます。
新入社員が続々と各部門へ配属される時期になりましたが、新入社員以上の貪欲さで
自己鍛錬を続けていきたいです。
そして壁にぶつかりながらも、時に未来を語り、時に馬鹿話ができる友人たちと切磋琢磨しながら、
一生懸命人生を謳歌していけたらいいなあと、今日は有休を頂いてそんなことを考えていました。
PS.間食を素焼きナッツとヨーグルトに変えたらすこぶる体調が良いです。
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